土屋歯科医院 土屋 重俊 院長 SHIGETOSHI TSUCHIYA
神奈川歯科大学卒業。1980年に『土屋歯科医院 』を開院。(JR東海道本線/湘南モノレール「大船駅」笠間口より徒歩3分)
神奈川歯科大学卒業。1980年に『土屋歯科医院 』を開院。(JR東海道本線/湘南モノレール「大船駅」笠間口より徒歩3分)
両親が歯科医師だったものですから、その流れから「自分も」となったというところですね。実家は伊豆の下田で、兄がそちらを受け継いで、2番目の私がこちら。で、3番目の弟が静岡市に医院を構えています。勝手に第1分院、第2分院なんて言ってますけどね(笑)。
開業は昭和55年(1980年)のこと。もともと代診の先生を何人も雇ってという気がなかったものですから、このくらいがちょうどいい広さでした。奥はちょっとしたスペースがあり、以前はそこで勉強会をよく開いていました。
患者さんが恐怖を感じないように、ということを一番に心がけています。白衣恐怖症なんてものもあります。特に歯科の場合、気をつけはしますけども、どうしても痛みが伴う治療があるものですから、なおさら患者さんにリラックスしていただかなくてはなりません。そこで大事になってくるのがコミュニケーションです。できる限り共通の話題をを見つけ、話しかけるようにしています。80歳くらいの患者さんですが、息子さんが剣道をされていて、その師範が私の大学の師範と同じ先生だったということをつい最近知りました。意外なところに話題は転がっているものなんですね。
慣れた患者さんはまだいいのですけども、初めての患者さんはどうしても緊張されています。私自身も少なからずそうで、だから、場を和ませる意味もあって冗談も言うようにしています。私が話しているけども、患者さんは口を開けているから答えられない、なんてこともありますけどね(笑)。
先ほどお話しした勉強会の主たるテーマが総義歯でした。それもあって、いまだに義歯は好きですね。患者さんにちゃんと使ってもらえる義歯を作りたいものです。いつだったか、歯科医師会から連絡が入り、あるおうちに訪問診療に伺ったことがあります。その方はもう百歳に近い方で、訪問でもありますし、新しく義歯を作るのは難しい状況でした。お口を見てみると、上は入れてらっしゃらないのですが、下は使われていました。そこであちこち探し回って、合いそうな義歯を見つけ、手を加えたのです。大抵、そのくらいの歳の方で義歯を使ってらっしゃると、いくつか持っておられるんですよね。結果、痛みもなく「食べられる」と仰いました。その後も再び伺い、3回目の訪問に伺った時には亡くなられていました。結果論ですが、新しい義歯をこさえても間に合わなかったでしょう。最後まで食べることができたようで、それは幸いなことでした。
使ってもらえる義歯を作るには、まず型を取ることから始まります。その型を取るにしてもいろいろありますし、それが終わればまた難しい工程がありますが、長年の経験が役に立っていると思いますね。
栄区の歯科医師会では監事を任されており、会長を補佐する役どころを務めています。新型コロナウイルスの流行により長らく中断していましたが、今後は再び口腔がん検診に力を入れていきます。栄区歯科医師会では、横浜栄共済病院・口腔外科の太田先生が準会員を務めてくださっており、先生の監修のもと、口腔がん検診をおこなっています。先生は専門家ですから、当然、“見方”をわかっておられるわけです。最初の頃は、目から鱗でしたね。いつも交流している先生だからこそ、私たちも気兼ねなく相談できますし、本当に勉強になります。そこで得たものを、地域にお住いの皆さんに還元していければと思っています。
人間はやはり食べれないといけません。極論すると、ご飯を美味しく食べれるから、元気に長生きできるわけです。その重要なお口を任されるのが私たちの役割であり、末長く美味しくご飯を食べていただけるよう、精一杯力を注いでまいります。お口のことで困ったことがありましたら、どうぞお気軽にご相談ください。
※上記記事は2023年7月に取材したものです。
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